「藤原定家筆歌合切」断簡発見・随感【 山本瓔子・詩のギャラリー公式サイト】


「藤原定家筆歌合切」断簡発見

800年の謎 不明の文意判明 (2009/7/22)



鎌倉期の歌人で新古今和歌集の選者だった

藤原定家が、めいで当時を代表する女流歌人、

俊成女(むすめ)の歌を書き取った断簡が

旧伯爵家の蔵品から見つかったそうです。





この断簡は、途中で文意が途切れ、長年、

意味不明とされていました。



それが東京国立博物館所蔵の

「藤原定家筆歌合切(うたあわせぎれ)」

の一部と判明したそうです。

約800年を超えた貴重な史料ですね。




歌合切は、藤原俊成の養女が、

夫と2人だけで詠み比べをして、

定家がそれを書き留め批評したものです。





他に写本や注釈書がなく、

貴重な文学資料と注目されながら、

前半と後半の意味がつながらない

不可解なものとされてきました。





そのうちの俊成女の歌には、

意味不明とされていたことばが

詠み込まれていたそうで

この断簡と東博の断簡をつなげて読むと、

俊成女の歌の方を高く評価していることが

分かったということです。

次回につづきます。

書の歴史(2009/7/23)

前回から続きます。



   定家が若いころの数少ない自筆の書で、

   王朝風の流麗な書風に特徴が

   あります。




   定家の30代終わりの書は希少だし、

   ページがつながり、意味が判明したのは

   新古今時代の和歌研究に寄与する発見ですね。



   定家の和歌観をうかがうこともできます。




   定家と、のちに離婚してしまう

   源通具と俊成女の夫婦が

   親しかったころに行ったこの歌合は、

   新古今集の成立を知る上で面白い史料です。





   歌合は当時、貴族の社交の場であるとともに、

   出世にもかかわる詠み比べ大会で、

   大小さまざまな規模で公式に行われていました。




   夫婦2人だけで私的に開いた歌合で

   それぞれが1首ずつ詠み、定家が優劣を

   判定する方法で行われたそうです。



   複数の歌が新古今集に収録された後、

   観賞用に裁断されて散逸したということです。





   「藤原定家筆歌合切」の断簡が発見されたことで

   当時の和歌に関する興味もさることながら、

   私が関連して考えるのは、書の流派です。




   鎌倉初期の歌人・歌学者として名高い

   藤原定家の書流です。



   定家の書は、字形にあまりこだわりません。



次回につづきます。

書の流派(2009/07/24 )

前回から続きます。

平安時代は日本における書の一つの

頂点をなす時代でした。



その初期は前代に続いて唐文化の移動が盛んに行われ、

弘法大師空海や伝教大師最澄、橘逸勢(たちばなのはやなり)らが

晋・唐の書風を会得して帰国しました。



王羲之風を基調とした重厚端麗な書体です。



   私は、王羲之については大好きで大変興味があって、
   展覧会へも2度足を運びました。
   その時のことは以下に書いております。

  北京故宮書の名宝展(2008/8/12)
LinkIconhttp://poem-poem.jp/Senses/pekin_ten.html

  書の名宝展まもなく終了(2008/09/13)
LinkIconhttp://poem-poem.jp/Senses/syono_meihou.html

  平安中期は王羲之から出発した雄渾豊麗な草書です。





    中国から渡来した漢字は書写や記録に便利でしたが、

    日本語で情感や思想を表現するには表記上、

    無理がありました。



    そこで、漢字の音(おん)だけを

    借用して一字一音式に国語を書き出す工夫がされ、

    万葉集のような和歌を詠む場合に用いました。



    これを後世「万葉仮名(まんようがな)」といいます。



    楷書で書かれたので真仮名(まがな)ともいいます。



    これを草書体で書いたものを草仮名(そうがな)といい、

    さらに大胆に書き崩したのが

    女手(おんなで)という書体になりました。



    女手とは、男子は漢字を学ぶ必要から

    楷・行書を主としたので

    男手(おのこで)というのに対し、

    漢字の知識に乏しい女性専用文字

    という意味でしたが、実際には男性も用い、

    のちに女手は平仮名(ひらがな)と

    よばれるようになりました。



    紀貫之(きのつらゆき)は『土佐日記』の冒頭

    「男もすなる日記というものを女もしてみんとて」

    と女性作者になりすまして書いたりしました。




古今和歌集を書き写した

高野切の筆者は古来紀貫之と

されてきましたが、実際は貫之の時代より

1世紀ほど後の11世紀の書写といわれています。




近代における筆跡研究の進展によって、

高野切の筆跡は3種に分かれることが

明らかにされていて、便宜上、「第一種」

「第二種」「第三種」と称されています。





次回につづきます。

高野切(2009/07/25 )

前回から続きます。

「高野切」などの「切(きれ)」とは美術史、

書道史、茶道などの用語で、巻物や冊子本

であった和歌集、漢詩集などの写本を、

鑑賞用とするため切断し、掛軸に仕立てたり、

手鑑(でかがみ)と称するアルバムに貼り込んだり

したものです。




これは室町時代以降、盛んになりました。

こうして切断された紙片が「断簡」と

よばれ、高野山に伝来したため、「高野切」の名が

生じ高野切本古今和歌集となりました。





筆跡研究が進んで、高野切の筆跡は

3種に分かれることが解り、

便宜上、「第一種」「第二種」「第三種」

と名付けられています。





私はこの「高野切」を一心に習いました。

特に「第三種」は好きでした。

師範の資格をとる前のことです。





第一種の筆者は、はっきりしていません。

第一種の書風は21世紀の今日に至るまで仮名書道の

お手本でした。




書風は、秀麗で温雅で、字の形は直筆を主として、

くせがなく、連綿(数文字を続けて書くこと)は

控えめです。

第一種と同筆または同系統の

筆跡としては、大字和漢朗詠集切、などなどが

あります。





第二種の筆者は源兼行とか。

九条家の紙背文書(しはいもんじょ)

中の兼行の筆跡との一致などで、

まず間違いないそうです。




高野切の3種の筆跡のなかではもっとも個性が強く、

側筆を多く用い右肩上がりで肉太の字形が特徴です。




第二種と同筆または同系統の筆跡としては、

平等院鳳凰堂壁画色紙形、桂宮本万葉集(御物)、

雲紙本和漢朗詠集など。





高野切 第三種の筆者は

藤原公経とする説もありますが解りません。




書風は穏やかで、高野切の3種の筆跡の

なかでは、もっとも現代風と評されます。




第三種と同筆または同系統の筆跡としては、

粘葉本(でっちょうぼん)和漢朗詠集、

元暦校本万葉集巻一、

伊予切(和漢朗詠集の断簡)その他です。




次回につづきます。

江戸時代へと移る(2009/07/26)


前回から続きます。


仮名書きの華麗な書風は料紙をも作り出し、

染紙(そめがみ)、唐紙(からかみ)、

雲紙(くもがみ)、墨流しなどの美しく

加工した紙が用いられるようになりました。




唐紙はもと中国から来たものですが、

平安時代になると我が国でも作りました。



平安末期から鎌倉時代にかけて

貴族階級の衰微と武家階級の

台頭で、仮名書道は振るわなくなりました。





『千載和歌集』の撰者藤原俊成は

鋭い筆致をみせながら奇癖に富んだ

独特の書風です。


のちに俊成流とよばれます。




その子定家は『新古今和歌集』

を撰し、いわゆる定家流とよばれる書風を

起こしました。




これが平安時代から鎌倉時代へかけての

書道界です。






平安朝の能書家藤原行成の子孫は

宮廷の右筆(ゆうひつ)として

書道界の中心となりました。




これが江戸時代へ移っていきます。




江戸時代になると文人趣味で、

これは中国の明・清の文人墨客に

倣って詩・書・画を重んじました。




時流には超然として、

教養や個性的な人間性を表現したものです。




良寛は王羲之、懐素を研究し、また小野道風の

『秋萩帖(あきはぎじょう)』を

習得して超脱自在の書境に至り、

池大雅(いけのたいが)も超俗の書画を残しました。




このほか与謝蕪村、田能村竹田(たのむらちくでん)らがおり、

頼山陽は個性の強い書を残しました。






明治以来、学校教育が急速に普及し、

習字が教科に組み入れられて

書道塾も盛んになりました。





戦後の一つの傾向として、従来のような

詩文を書き連ねることに飽き足らず、

保守・伝統に反抗して、文字をかかない書の

「前衛書道」または

「墨象」とよばれる書芸術がおこりました。




読むことができない草書や行書の詩文や

変体仮名よりは、抽象絵画と同じく

表現主義的な立場から、自由に書に造形美を

求めるべきだとして、

篠田桃紅(しのだとうこう)らの作家が出ました。




前衛書道は書とは認めがたいとする人もいます。




「藤原定家筆歌合切」の断簡を発見した話から

随分あちこち話が入り組みました。





文学と書とは関連も大変深いものですから

興を覚えると話が長くなってしまいます。

この辺で終わりにします。

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