オーストリアのクリムト・随感【 山本瓔子・詩のギャラリー公式サイト】


オーストリアのクリムト 2006/1/24

平成18年の新春を迎えた直後、私はオーストリアへ旅立った。

私の作詩による「笹舟」と題する歌が、オリジナルである教科書掲載の作品としてでは無く、藤元薫子作曲により、新たな命を吹き込まれて、ソプラノの歌曲として発表されることになったためである。

場所はウイーン・フィルの本拠地である楽友協会ホール。今年も新年にニューイヤーコンサートが開催されたあのホールである。

今年はモーツァルト生誕250年記念ということで、ウイーンはモーツァルト・イヤー一色に彩られていた。そこで現地の聴衆を前に、合唱、ソロ、琴、尺八、日本舞踊、等々を駆使した芸術を披露したわけである。

私は、出演者がリハーサルをしている間を利用して、街中をぶらぶらと歩いた。

その日は、雪の降る寒い日で、ベルヴェデーレ宮殿上宮のオーストリア・ギャラリーにオープンの時間前に着いてしまって、外で震えていた。

もちろん、お目あては画家グスタフ・クリムトの絵である。

世紀末芸術、100年の時を経て、今なお人々に熱く語りかける絵。旧来の伝統から分離するという意味の分離派運動の中心的人物であるクリムト。特にファンというわけではないがウイーンに来ているのだから、やっぱり見ておきたいと言う気持ちだった。

特に「接吻」という絵は、日本でも人気があって、その複製画は有名である。

なるほど、もてはやされるだけのことはある。あらゆる絵が、感覚的で繊細なのである。それは私を驚かせた。「ハッ」とさせる物がある。日本人の肌に馴染むような懐かしいきらびやかさみたいな物が全体に滲んでいる。金細工や漆の塗り絵を思わせる、非常に高度な技術が隅々にまで行き渡って、足が釘付けになった。これは絶対複製画ではわからない。現物を見ない限りわからない。彼が金細工職人の息子だから、身に付いた技術なのだろうか。

「接吻」の絵は驚きの連続だった。大きな画面の隅から隅へと目を移すごとに新たな驚きで、新鮮そのものだ。神秘と官能と恍惚とが得も言われぬ風情を醸し出して、それがただの絵画ではない技術に裏打ちされている。それは足の表情にまで繊細に及んでいる。

この技術を彼はどのようにして身に付けたのか、このほとばしる内面の思いをどのようにして画面に押し込めたのか、ただ尋常でないものを私はひたすら感じていた。

通り過ぎては、また戻ってきてじっとながめることを繰り返し、去りがたい思いで、この絵と対峙する。その他のいくつかのクリムトの絵にも同様のショックを受けていた。

絵に対してこのような思いを抱くのは、そう多くはない。今までに同様の思い、ないしは、同様の何らかの感懐を覚えたことは、あるにはあった。しかしそれはそんなに多くはない。

いつまでも見ていたい絵。いつも身近に置いておきたい絵。心が落ち着く絵。なぜかとてもよく分かる絵。といろいろあった中で、今度オーストリアで予期せず出会った、強烈な驚きの絵がクリムトだった。

こういうことが起きるから、絵は素晴らしい。小さな複製画ではとてもとても想像できない、とてつもない思いが、実物を見ることでハッキリしてくる。

今回の旅が、これ一つで何十倍も意義のあるものになったのであった。

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